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【対談】看護医療の教育現場から見たケアとXRの可能性―慶應SFC宮川祥子先生に聞く―

さまざまなビジネスの現場で、XR/メタバース活用を通じた変革の兆しが見えています。本連載の第2回で取り上げた建築業界と同様、技術の普及が期待されるのが、医療・看護・介護といったヘルスケア領域です。

臨床現場ではどういった技術導入が進み、どんな課題が生まれ、どのように発展していくのか――ICTツールを医療・看護現場へ応用する研究・教育に取り組む、慶應義塾大学看護医療学部准教授の宮川祥子氏にお話を伺いました。

聴き手はPwCコンサルティング合同会社(以下「PwCコンサルティング)」の林田大造氏と杉本雄太氏が務めます(連載第1回はこちら)。

プロフィール

宮川祥子 / Shoko Miyagawa
慶應義塾大学看護医療学部准教授。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程に進学、2002年に博士(政策・メディア)修得。2001年より同大学看護医療学部専任講師に着任、2006年同助教授、2007年より現職。専門分野はヘルスケア情報学・防災情報学。デジタルファブリケーションを活用してケアニーズにマッチしたプロダクトをつくる「FabNurseプロジェクト」主宰。また、疫学(Epidemiology)・看護学(Nursing)・情報学(Informatics)を組み合わせた方法論を防災・減災に実践する団体「EpiNurse」の理事も務めている。

林田大造  / Taizo Hayashida
PwCコンサルティング合同会社 Technology Laboratory。事業会社にて、コーポレートベンチャーキャピタル、先端医療技術分野における産学連携、スタートアップ支援、M&A;、新規事業開発などの業務に従事し、イノベーション領域における技術面、ビジネス面の双方に豊富なマネジメント経験を有する。現在はさまざまな産業領域において、デジタル技術をはじめとする先進技術の社会実装を中心に、テクノロジー起点のコンサルティングを提供。

杉本雄太 / Yuta Sugimoto
PwCコンサルティング合同会社 Technology Labratory。大手SIer、XR系スタートアップを経て現職。AI/IoT/ブロックチェーンなどに関するPoCや、事業策定支援に従事。VR/AR技術を活用し、産業用途からエンタメ領域まで幅広いターゲット向けのXRサービスの企画・開発をリード。現職では産業横断での空間情報の効率的な活用に向けた動向調査や、XR技術の普及に向けた戦略策定支援等に従事。

自宅は宇宙より遠い? XRで社会的距離が縮まる期待

PwC杉本:宮川さんが参画している「EpiNurse」では、世界のどこからでも地域保健活動のデジタル支援や遠隔ケアなどの活動を行う「5 x 5  MetaNurse Project」を展開されていますね。まさに“メタバース保健室”の実現を目指す取り組みだと感じています。

情報技術の専門家として、ヘルスケア領域における実践知を誰よりも積み上げられていらっしゃいますから、今日はお話を伺えるのを楽しみにしてきました。初めにお聞きしたいのは、現場の肌感覚として、XRはこの先ヘルスケア領域で、大きな有用性を発揮し得るのでしょうか?

宮川:まだまだ試行錯誤している段階ですが、将来的には役立てられると思っています。有事でも平時でも、ケアの現場では適時の正確な状況把握が重要です。XRはそこで大きく役立つでしょう。

たとえば……商業施設や交通機関といった複雑性の高い空間で感染症が発生し、医療介入するとしましょう。そこでは、空間全体の構造把握はもちろん、空調や水道などの環境衛生に関わる設備をどのようにコントロール(制御)するか、さらには空間の実質的な管理権限を持つ主体は誰か、といった知識が必要になってきます。

PwC林田:なるほど。そこでXRを活用できれば、介入前のシミュレーションが容易になり、より効果的な対策が打ちやすくなると。

宮川:こうしたシミュレーションは、在宅ケアでも効果を発揮するはずです。商業施設なら空間管理の権限者はおそらく施設長で、目的を共有できれば協力関係も作りやすいでしょう。他方で、在宅ケアの主役はご本人とそのご家族です。生活の場である室内を、医療的な観点から感染が起きないように変更していく、といった介入を行うには、その方々が大事にしている生活上の事柄を理解した上で、コミュニケーションと合意を作っていく必要があるのです。

PwC林田:空間の権限を持つ人物といかにうまく連携できるかが、ケアのスピードやクオリティに大きく影響するのですね。

宮川:身近なように思えて、足を踏み入れづらい領域はたくさんあります。患者さんのプライベートな空間である個人宅は、時には宇宙と同じくらいの“遠さ”を感じる空間です。簡単に介入できない場所をXRで再現して入念にシミュレーションができれば、医療従事者と患者・家族のコミュニケーションと合意形成のツールとして使える可能性があると思います。

完璧でも最新でもなく、簡素で使いやすい技術を取り入れて

PwC杉本:XRを医療現場により積極的に導入する上で、医療従事者や技術提供者には、どんな意識が必要でしょうか?

宮川:大前提として、技術導入が目的化しないように注意するべきです。現場の実態に即した目的を設定して、明確なゴールを周囲へシェアする姿勢が大切だと思います。

そして、最初から完璧な完成形を求めないこと。ラピッド・プロトタイピングで素早くPDCAを回すことが重要です。現場からのリアルなダメ出しが、最も優れた改良のヒントになりますから。

こと臨床現場では、フルスペックの最新技術よりも、必要最小限の簡素な機器の導入からでよいと感じています。欲を言えば保守コストも現実的で、専門知識もいらず、誰でも使いやすいUIであればなおよし、ですね。

PwC林田:現場でXR機器を使う医療従事者のフォローも、合わせて必要になりそうです。

宮川:同感です。テクノロジーに対する医療従事者のリテラシーは、急いで底上げしていく必要があると感じています。現状、テクノロジー教育を実施できている看護系の学校は、ほんの一握りしかありません。もし、日本全体で1割の学校がテクノロジー教育に注力し、1割の看護師がその知識を得て社会に出れば、ケアの現場に大きな変化が生まれるはずです。テクノロジーを使いこなせるというだけでなく、より良いシステムやUIを提案し実現する役割を担うことが期待できます。

専門家の助けを借りれば「自分でつくれる」と学ぶことが大切

PwC杉本:未来の看護師には、何にフォーカスしたテクノロジー教育を提供することが望ましいのでしょうか?

宮川:ちょっと抽象的かもしれませんが、「ものをつくることがケアにつながる」という考え方を育んでいくことかと思います。看護師を対象に、デジタルファブリケーションの技術をケアに活かすワークショップをしたことがあるんです。現役の看護師と技術者が顔を合わせて、その場でプロトタイプの意見交換をすることで、患者固有のニーズにマッチしたケア用品の提供と、現場のノウハウ共有や伝播が期待できました。

(出所:慶應義塾大学SFC研究所)

医療従事者は、現場にあるリソースだけで、なんとかしようとしてしまいがちなんですよ。それはそれで素晴らしいスキルなのですが、そこに「自力でつくれる」という視点が加わると、アセスメントの視点やプランニングの質が大きく変わるはずなんです。

もちろん、実制作は外部の専門家などに頼ってよいのですが、それも看護師が「つくれる」と感じてこそできる判断です。簡単でもいいから、ケアの文脈につながる基礎的なハードやソフトのつくり方を身につけておくことで、現場での対応力はきっと上がると思います。


(宮川研究室には、看護系の学校ではまだまだ見慣れない、自作の大型3Dプリンターがあった。)


(3Dプリンターを用いて制作した、ケア現場で活用できる「もの」たち。横向きに寝たままうがい液などを吐けるたらいや、投薬練習用の補助器具など。)

長期的なビジョンのもと、テーラードケアに適した戦略的投資を

PwC杉本:XRを効果的に導入するには、医療従事者や教育機関のみならず、行政や私たちのような企業を含めた、産官学の協力体制の強化が不可欠だと感じています。「学」の立場からコミットする宮川さんから見て、行政や企業に望むことはありますか?

宮川:そうですね……「官」については、社会保障費の削減が叫ばれるなかではありますが、ケア領域に対するリソース配分の見直しを検討してほしいです。これからのケアは個別化が進み、患者一人ひとりに合わせたテーラードなプランニングが求められます。そうした時代に見合った、高度なスキルを持つケア人材を見込んだ報酬設計の仕組みが必要になるはずです。

テーラードなケアが、患者のQOL向上や病状の早期回復につながり、結果的に社会保障費の削減になるというエビデンスを増やして、流れを変えていく必要性を感じています。効果測定のための研究や人材育成も重要ですね。従来型ケアからのブレイクスルーを生み出すためにも、ケアがあふれるゆたかな社会のための、価値創造的な政策立案を、ぜひ検討していただきたいと思っています。

「産」については、目先の利益にとらわれ過ぎず、ビジョンを持った事業育成を志してもらいたいですね。せっかく産学官の連携を強めても、わかりやすいKPIに縛られ過ぎると、狭いスコープのプロジェクトになりがちで、医療現場のモチベーションも上がりません。目指すべき社会のあり方とそれぞれの役割についてビジョンを共有することで、本質的な課題解決につながる、腰をすえた技術導入の芽が見えてくると思っています。

PwC林田:ヘルスケア領域のみならず、新しい技術を導入する際は、得てして短期的な活用メリットや期待収益に目が行きがちです。産官学のバランスを取ったビジョンの構築こそ、私たちのような存在が担うべきところだと感じています。私たちには、PwCグローバルネットワークのメンバーファームとしての豊富な知見があります。諸外国における取り組みや業界全体の流れを見渡した上で、中長期的なあるべき姿と、その姿を実現するためのロードマップを描き、産官学のそれぞれのプレイヤーに働きかける役割が求められていると感じています。

宮川:そこは大きく期待しています。コンテンツも技術も人材もお金も、単体では価値を発揮できません。より良い社会の実現のために、良いものを探し出し、育て、重ね合わせ組み合わせることで価値を創造していく。そういったコーディネーションの役割が今後より一層重要になってくると感じています。キュレーションやカタロギングといった抽象度の高い編集スキルを持ったスペシャリストとして活躍して頂きたいです。

「遊び」で「学ぶ」文化を、XR技術の信頼醸成にも

PwC杉本:医療現場に限らず、XRのアセット(資産)が社会インフラとして当たり前に普及するには、どんなことが必要だと思いますか?

宮川:人々の意識や認識に介入するような技術では、金銭的なコストだけでなく信用コストも考えなければなりません。発生し得るコストが大きいからこそ、社会的なトラスト(信頼感)の醸成が必要でしょう。技術やコンテンツは、それらがより良い社会の構成要素となるようにガバナンスされることが必要です。

XR技術の導入によって、よりよい社会への変革がどのようにもたらされるのか。作り手とユーザをはじめとする人々がオープンな場で一緒に考えて共有していくことで、安心して受け入れられる「トラストの基盤」が生まれ、そして社会インフラとしての普及につながってくると思います。

実は、海外の研究者や医療従事者とコラボレーションしていて感じるのが、価値創造のストーリーづくりで日本の強みとなるのが、幅広い「エデュテイメント」コンテンツを育んできた文化ではないかということなのです。

PwC杉本:エデュテイメントとは……「エデュケーション」と「エンターテイメント」を組み合わせた言葉でしょうか?

宮川:そうです。たとえば、日本の学校図書館には当たり前にある「学習マンガ」って、海外には珍しい文化なんですよ。

PwC杉本:子どもの頃に、偉人の伝記を読んだのを思い出しました。

宮川:そうそう。学習マンガの影響はとても大きくて、私が受け持ってきた看護学生にも「小学生のときにマンガでナイチンゲールの評伝を読んだのが、看護の道を目指すきっかけになった」という人がいました。

PwC林田:たしかに、医療従事者でなくても、多くの日本人はナイチンゲールの名前や生涯について知っている気がします。学習マンガをはじめとした、史実をもとにしたエンターテイメント作品の中で、自然と目にする機会があったからかもしれません。

宮川:「遊び」と「学び」を組み合わせてコンテンツをつくる文化を、日本はもっと誇って活用すべきだと思いますね。情報技術のケアへの活用に対する理解を促し、忌避感をなくしていくためにも、XR/メタバース領域でもエデュテイメントの技法がもっと活用できるでしょう。

PwCコンサルティングXR/メタバースチームのWebサイトはこちら

(統括: 笠井康平(Mogura)/ 企画制作: 森部綾子(インクワイア)/ 編集: 長谷川賢人 / ライター: 西山武志 / フォトグラファー: 栗原論)

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